■読み終わって印象に残っている本

●有本 芳水 『笛鳴りやまず―ある日の作家たち』

有本 芳水という文芸記者が会ったことのある作家や詩人の横顔を綴ったものなのだけれど、これが意外に面白い。
明治大学の校歌を作った人が天涯孤独で死ぬ4日前に、明治大学のブラスバンド部が枕元で演奏してあげた話とか。

昔、文学史とかいって習った人がいっぱい出ていて、なんでこんな人たちのことを知るのが「教養」だったのか、さらにまったくわからんようになりました。

まあ本も面白いのだけど、関連する調べ物も意外に面白いのである。
与謝野鉄幹の参加した和歌の結社「浅香社」のことを調べていたら、なぜか泉鏡花にたどり着いてしまった。
泉鏡花のことはよく知らないのだが、かなり面白い人らしい。

シャコ、エビ、タコ等は虫か魚か分らないような不気味なものだといって、怖気をふるっておられました。ところが一度ある会で大変良い機嫌に酔われまして、といっても先生は酒は好きですが二本くらいですっかり酔払ってしまわれる良い酒でしたが、どう間違われてか、眼の前のタコをむしゃむしゃ食べてしまわれました。それを発見して私は非常に吃驚しましたが、そのことを翌日私の所へ見えられた折に話しをしましたら、先生はさすがに顔色を変えられて、「そういえば手巾にタコの疣がついていたから変だとは思ったが――」といってられるうちに、腹が痛くなって来たと家へ帰ってしまわれた。まさか昨晩のタコが今になって腹を痛くしたのではないでしょうが、私はとんだことをいったものだと後悔しました。
……略……
 神仏に対する尊敬の念の厚かったことは、生来からと思われますが、神社仏閣の前では常に土下座をされて礼拝されました。私などお伴をして歩いている時に、社の前で突然土下座をされるので、先生を何度踏みつけようとしたか知れませんでした。宮城前ではどんなに乱酔されていても、昔からこの礼を忘れられたことはなく、まことにその敬虔な御様子には頭が下がりました。
   ――小村雪岱 「泉鏡花先生のこと」、中公文庫 『日本橋檜物町』所収、泉鏡花を読むより

こんな人がいたら、かなり遊べそうである。

ちなみに、「笛鳴りやまず」というわけのわからないタイトルは、編集者吉田研一が「ある日の作家たち」じゃあまりにもアレだから、というので詩心を発揮してつけたらしい。本の内容というのは書いた人がいちばんよくわかっているのだから、軽々しくタイトル変更などしたくないものである。そのときは良かれと思ってやるのではあるが。反省。(2006.1)

●バックミンスター・フラー 『宇宙船地球号操縦マニュアル

宇宙船地球号操縦マニュアル

これまで難解な変人だと思っていたバックミンスター・フラー。
だけど、フラードーム(三角形を組み合わせて球体にした、シンプルで強い構造のドーム)に惹かれて、あとタイトルにやられて、読み始めてみたら、まともな天才じゃないですか。
ちなみに、訳は、これまで出ていたのとはまるで別物の、わかりやすい決定訳となっている。訳したのは、あの『宇宙船とカヌー』(←大昔に読んだのでおもしろかったことしか覚えてない)を訳した芹沢高志。フラーの言うことを真に受けて都市プランナーになったと書いてある。

本文は、誰にでもわかるように論理的に美しくシンプルに書かれている。私は数学がわからないから(だと思うが)、ビット化とかシナジー化とかシステム理論とか言われても全然わからないのだけど、言ってることが正しいのは、わかる。
いちばん美しい話(のように見えるの)は、この話。あるとき船に乗っていたフラーは、船の航跡の泡を見て考えた。

泡は球体だ。それを求めるためにはπがいる。しかし、πというのは知っての通り超越無理数であり、名うての厄介者ではないか? いつまで計算しても、正確な値は得られない。割り切れもしなければ、循環小数にもなり得ない。とすると、どうだろう? 自然はこの無数の泡をつくる時、いったい何桁で手を打つのか? 何桁まで計算して、そこから先をごまかすのか? いや、それはおかしい。自然がごまかしをするわけがない。……フラーはこのことを、座標系の問題としてとらえ直してみた。――もしかすると、我々が使っている直交座標に問題があるのかもしれない。……宇宙は自分の構造化に、もっと球体と相性の良い座標系を使っているのではないだろうか?

この直観は、のちに壮大な数学体系にまとめられたそうだ。
彼が亡くなった後には、フラードームの構造とそっくりな炭素原子が発見されて、「バックミンスター・フラーレン」と名付けられたという。ここまでくると、まるで神ではないか。
フラーは、より小さい力でより多くの成果を得られるように考えていた。戦争に使うお金で相手に援助すれば、もっと効率的になれるじゃないかと書いている。
中でも気に入ったのはこのエピソード。本人じゃなくて訳者が書いてるんだけど。『ホール・アース・カタログ』のテクニカル・ディレクターだったJ・ボールドウィンという人から聞いた話だ。

人類の目的はエントロピーのバランスを保つことだから、われわれはエントロピー的な仕事に就くことは避けねばならないと彼は言う。生計を立てることを心配する必要はない。この地球の存在理由を理解して、その役割をちゃんと果たしていさえすれば、宇宙が面倒を見てくれる。自分には貯金もないし保険もない。退職金もない。金は全部、仕事につぎ込んだ。そういってそれを証明するように、彼は自分の空のポケットを見せたという。ボールドウィンたち学生は、フラーの朝食代を払ってやった。

感動した。「宇宙が面倒を見てくれる」。

フラーハウスを白馬あたりに建てようかと思い資料を取り寄せることにした。(2005.5)

●魚住昭 『野中広務 差別と権力』

野中広務 差別と権力

被差別部落の出身で、それを隠さずに権力の中枢に上り詰めた最初の人、野中広務。
とても頭のいい人だったらしい。しかし最後に、首相になるか、というところで「自分はその器ではない」といって辞退。麻生太郎はこのとき「あんな部落出身者を首相にはできんわなあ」と言ったと、少なくとも3人の人が証言しているという。公の場で言うかどうかはともかく、別にはずかしいこととも思わずにそういう人は日本にたくさんいる。信じられないぐらいたくさんいる。
会ったこともないし見たこともないので本当はどういう人かはわからないけど、同和問題の解決に尽力し、そのために及ぶ限りの知力で闘った人であるということは間違いない。そのためには手段を選ばない人であったらしい。しかし部落出身者が部落差別をなくすのに、スマートでキレイな手段だけ使うなどということができるだろうか。
この人は権謀術数の政治が好きで、政治の世界にとても向いていた人みたいだけど、私はこのエピソードを読んだとき、とてもイヤな気持ちがしました。
女子プロゴルフトーナメントに招かれ軽井沢プリンスで小渕恵三と加藤紘一が同宿したときのこと。

「後で僕の部屋に来てくれないか」
 小渕が加藤に声をかけた。
 加藤が夜、小渕の部屋を訪ねると、小渕はいきなり上着を脱いでステテコ姿になった。
「あんたもくつろいでくれ」
加藤は言われるままに上着を脱いだ。

……、こわいです。
あとがきにはこうあります。

彼(野中)の引退は、差別性と平等性を内包しながら平和と繁栄を志向してきた戦後の終焉を象徴する出来事だった。新たな時代には平等と平和の四文字はない。それを思うと暗澹とする。

この本はDavis仲間に教えてもらって読みました。
(2004.12)

●白土 三平 『カムイ伝』

カムイ伝 (5)

江戸時代(たぶん)の農民の苦しい暮らしを描いた大作。
しかしあまりにも大作すぎ、1970年ぐらいから始まって、現在第二部の途中で終わってまだ再開していないという。
第一部の19巻ぐらいから話がだれ始める。(それまではとてもおもしろい)
同じところをぐるぐる回り始めているような気のする、第二部始めの今日この頃である。(2004.11)

●江國 香織『落下する夕方』

落下する夕方

何を思って夕方に読み始めたのかわからない。
「死ぬ方向に向かって生きるしかない人」というのがいるんだな、というのが、この話を読んで、最近イラクで殺された香田さんという24歳の若者の話と思い合わせて持った感想でした。
でも本人は、それで満足しているというか、納得していると思う。自分で選んだんだから。
そして家族は、やりたければお葬式でもやって、それぞれ勝手に納得するしかないんだなと思います。
私は生き方も、死に方も、自分で選べる人生を送りたい。(2004.11)

●村上春樹『アフターダーク

アフターダーク

ねじまき鳥あたりからの最近のほかのものと同じで、出口のない話。

ではあったが、「アフターダーク」というタイトルからも、また終わり方からも、これまでよりはちょっと出口に近づいているのかもという印象。

とはいえ結局は、著者は日本に居続けることをあきらめたのだし、もはやその考え方も若くはなくなってきているので、日本の現在は誰かほかの人(例:吉田修一)に書いてもらった方がいいのかなという気がしました。

バブルの前の日本の捉え方はすごくよかったんだけど。

でも19歳のときの、みずみずしい人とのつきあい方をあいかわらずよく覚えているのはスゴイ。 ノルウェイの森で全開になったそのみずみずしさこそ、彼の真骨頂なのかもしれないな。(2004.9)

●『折りたたみ自転車&小径スポーツの本vol.3

折りたたみ自転車&小径スポーツの本 (Vol.3)

小さい自転車のことをミニベロっていうんだって。ベロというのはラテン語で自転車のことなんだって(真偽不明)。
いま、ミニベロが流行っているらしい。そういわれてよく見ると、意外と町を走っている自転車には小径のものが多い。都会には小回りが利くので便利らしい。

私はこの本を参考に折りたたみ自転車を買いましたよ。
でも、買った後で「ほかにも買いたい自転車があった!」ということに気づき、どうしたらいいか検討中。しかしもう一台買うためには……、引っ越さないとうちに持って入れないしなあ。。。

という感じに、ハマれる1冊です。(2004.9)

●ランス・アームストロング 安次嶺 佳子訳『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

癌が脳まで転移していながら手術と化学療法で克服し、その後ツールドフランスで5連覇を飾っているという伝説中の自転車選手の自伝。
この本が出たときは、興味はありながらもこのわけのわからないあざといタイトル(と帯)に反感を覚えてよく見なかったのですが、文章と話の組み立て方のうまさにびっくり。もちろん話の内容にもびっくり。だって脳手術だよ。癌で。しかも化学療法というのはよく知られているとおり、正常な細胞まで殺してしまうようなもので、運動選手には致命的。と思われていた。でも肺の細胞をなるべく殺さない薬を使ってくれる主治医を見つけて(インターネットと本で、病気についてものすごく調べたそうだ)、それでも24時間吐きながら耐えて、治って、でも治ってから再発するかしないかわからないというのがいちばんつらいらしい。
いまは、癌でラッキーだったとさえ思っているらしい。視野が広がって、競技にもいい影響を与えてるし、癌の人の痛みをわかるようになったし、それを伝えるという仕事ができたから。
この人は本当に神様に愛されてる人だと思うけど、そのラッキーだった経験を生かして人助けをするというのはすごいことだと思いました。
あと、高卒で本なんか病気になるまでは全然読んだことなかったとか言ってるけど、文章のうまさに感服。比喩も上手だし、まるで村上春樹のよう。本当にすばらしい。訳者も非常にすばらしい。(2004.5)

●浅田次郎『王妃の館』

王妃の館〈上〉

みなさんでツアーでフランスに行くお話なんですが、浅田次郎とフランス、相容れないところがあるよ……。
この人のお話はピカレスクが本領で、あとは舞台(場所)を変えただけか、「感動させよう」と思って書いてるのがミエミエなお話で、不自然感が否めません。
どうせ編集者が「先生今度はフランスに取材に行きましょうよう」とか言って、フィールドを広げてあげてるつもりになってるんだろうなぁ。
それとも賞とか取っちゃうと舞台を大きくしたくなるのかなあ。
映像化とか考えるとお涙ちょうだいになっちゃうのかなあ。

もったいないですよ! ピカレスク! ピカレスク!
この小説も、悪い人の出てくるところは面白かった。(2004.4)

●P. F. ドラッカー『仕事の哲学』

仕事の哲学

帯にこうあります。「不得手なことに時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである」。それはそうだ、と思う反面、それじゃつまんないかも?
でも仕事をしてて思ったのは、効率も成果もやる気も大事だけど、最初に倫理がないと何もかもだめになる、ということでした。
今日テレビで、オウム真理教の犯罪者たちの「獄中からの手紙」ていうのを公開してて、ちゃんと本道に戻れた人もいるけど、まだ「思い出したくない」「考えたくない」とか言ってる人もいた。結局、最初に自分が権威と認めたものを、「やっぱり自分の本当の考えとは違うんじゃないか?」と思うことができない、という弱さでした。そして「地位」が上の人のいいなりになる。これってどっかで見たような。
会社がうまく行ってないんじゃないかと思いつつ、でもここにいたら誰かが働いてなんとかしてくれるだろう、部長の言うことにしたがってたら、この場で糾弾されることはないだろう、という考え方。
自分の考えのない人が流されていくというのは、会社でも宗教でも同じだと思いました。
本の感想よりテレビの感想でした。(2004.2)

●アンドルー・ワイル『癒す心、治る力』『心身自在』

癒す心、治る力 心身自在

「会社に入ってなった病気は会社を辞めれば治るんじゃないか?」と思っているのですが、8年かかって得た病は、8年ないし16年かからないと治らないような気がする。ですが、努力すれば多少は治りを早められるのではないか?という仮説も捨てきれない。
ということで、昔『チョコレートからヘロインまで』というあやしいタイトルの本を読んではまっていたワイル博士の本を読んでみる。この人は、食べ物の向精神性とかから入ってきて、現在は医食同源の立場で「健康」を推進し、「アメリカでもっとも影響力のある25人」とかに選ばれている人(らしい)。
この本はのっけから、「オステオパシーはあやしいとずっと思ってたんだけど、一回施術を受けてみてはまった」という記述があって、おお! やはり方向が同じ!と思ってしまいました。
アメリカ人らしく、「8週間プログラム」ていうのを作って、「今週はブロッコリーをいっぱい食べる」「今週は背の青い魚を2回食べてみる」「ビタミン剤を飲んでみる」とか、週によって到達度を違えて、9週目からは完全に健康的な生活をできる!はず!というふうになっている。ただ所詮アリゾナ在住のアメリカ人なので「青い野菜を食べるなんて抵抗があるでしょうが」とか「健康食品店に行って、大豆製品の種類を調べる」とか「魚が手に入ったら」とか、書いてある。日本人でよかった。
この人の特徴としては、後半に入ったあたりから精神性についても言及されていて、どうもまともな性格にならない限り、完全な健康は訪れないのでは、と思わされる。私は中途半端な健康で我慢するしかなさそうだなー。。。
しかーし。この本を読んでから、有機野菜を隔週でとることにしたし、ミネラルウォーターを買おう!とも思っている。意外とはまりやすいのでした。あとビタミン剤も買っちゃった。ビタミン剤にもいろいろあって、ビタミンは天然じゃないと吸収が悪いし、時間をおいて放出するようになってないと水溶性ビタミンはなくなっちゃうし、ミネラルもキレート加工というのをしてないと、吸収されないということがわかりました。ちゃんと加工してあるマルチビタミン&ミネラルは、普通に売ってるのの3倍の価格。どうなのか。と思うがせっかくなので買ってみた。洗脳済み。(2004.2)

●ロバート・キヨサキ『金持ち父さん貧乏父さん』

金持ち父さん貧乏父さん

今になって考えてみると、この本を読んで余計に「会社辞めたい」「バカらしい」ていう思いが強まった気がしてならない。このたび再読。
会社勤めは、1「オーナーのため」、2「政府のため」、3「銀行のため」にお金を作っているということ、と書いてある。私は最後はホントに自分のためになるお金が残らなかった。税金と、食費と、社会福祉費と、家賃と、通信費と、組合費に消えてしまったからだ。貯金は銀行にあって、それをどうしようとも考える暇がなかった。そういう状態をこの人は「ラットレース」と呼ぶ。
この本の本当にすごい所は、この本はものの見方を変えてくれるけれど、実は著者の作った2万円のゲームの宣伝でしかないということだ。さすが金持ちはやることが違う。
ラットレースをおりる早道は、自分で会社を作ること。税金が安くなるから。ということでした。日本でもそうなのかな?(トクにならないから会社にしてないという個人事業者に会ったことがある) (2004.1)

●杉村太郎『絶対内定2005』

絶対内定〈2005〉

この本は置いてあったので読んでみた。別に内定を目指しているわけではない。
学生向けの本で、「内定したかったら、何をしたいのか、オレはどういうやつなのか、なんでしたいのか、等々を『我究』せよ」とあって、後半に「我究シート」がくっついていて、「目標」「好きなこと」「弱点」「ガキのころから何をしてきたか」などを延々書くようになっている。
まあ、内定はするかもしれないけど、文学性に欠けた人になりそうである。それでよけりゃーいいが。(2004.1)

●矢田挿雲『江戸から東京へ』

江戸から東京へ (第1巻)

大正4年から昭和17年の間のどの時期かに(文庫にはハッキリ書いていない)、報知新聞に連載された江戸時代の東京の姿を写したエッセイ。
今になってみると、その当時とも違った趣が楽しめる……ということはあまりなく、変化は全て、趣をなくすように働いているようである。しかしやはり歴史散歩の一助となる良くできた本であることは疑いない。
たとえば「向島各寺社のうちで、文字通り隅田川に接しているのは、この隅田川神社あるのみで、上げ潮引き潮が、だぶだぶと裏の鳥居の下まで押寄せるさまは、まことに水神様、船霊様の名にそむかぬ」なんて書いてあるのにつられて行ってみると、裏の鳥居のすぐ後ろにコンクリートの防壁ができていて、「だぶだぶ」なんて音もしないばかりか浮浪者が隠れていたりするのだけど、本に書いていない、耳のある亀が、狐や狛犬のかわりに控えていたりする。行ってみないとわからないこともある。
それに、江戸のものはたくさん残っているので想像力のない人にも考えやすいのでした。(2004.1)

●シオドーラ・クローバー『イシ―北米最後の野生インディアン

悲しいお話でした……。
インディアン撲滅運動が終わりを迎えつつあった1911年のある日、サクラメント河流域の屠殺場に、痩せこけたインディアンが姿を現した。彼は最後に4人残った同じ種族の仲間がみんな死んでしまい、「もう殺されてもしょうがない」という気持ちで白人の前に現れたのだった。彼は誰にもわからない言語を話したので、幸い博物館の先生に興味をもたれ、博物館に引き取ってもらえることになった。
最後には「友達」になったこの先生は、「イシはすぐれたインディアンだった」「他の初めて会ったインディアンからもそう言われていた」と言っている。イシは矢じりを作ったり、火を起こしてみせたりして「博物館で仕事を見つけた」。観客とも親しくなった。昔暮らしていたインディアン小屋に研究者をつれて行ってくれたりもした。英語もかなり覚えた。
最後は、多くの原住民たちと同様、結核で死ぬ。彼の「友人」となった白人は「もっと手当てができたのに」「もっと早く気づいてあげたら良かった」と悲しむ。
博物館の先生は、イシに愛情を持っていたが、彼の死後はあまりイシのことを話したがらず、先生の奥さんが聞き書きして本にまとめた(この夫婦が『ゲド戦記』の著者アーシュラ・ル・グインの両親だという)。
少なくとも、多くのアメリカ人がこの本を読み継いでいるということは、救いだと思う。(2003.12)

●くらたまなぶ『MBAコースでは教えない「創刊男」の仕事術』

MBAコースでは教えない「創刊男」の仕事術

リクルートで、とらばーゆ、フロムA、じゃらんなど14誌を創刊してきた「立ち上げ屋」の書く仕事のコツ。
最初に「ちゃんと『生活』すること」って書いてある。ちゃんと、生活者の感じる視点を感じておこう、ということ。
まあ読んでいくと、ホントにこんな、会社に泊まりこんで、風呂も入らずに仕事する人が、「生活」してるのかなあ?って思うんだけど、足りないところは他人にヒアリングをして、市場の不満を感じ取って、それからおもむろに、そこを埋める雑誌を作るんだって。
これだけ多くの分野で、ターゲットになりきって「不満を感じる」なんてできない・・・って思うけど、くらた氏は、若い頃から毎年、はじめてのことをやる、って決めて、「太平洋戦争元年」から「OL元年」(とらばーゆ創刊時)、「料理元年」(半月で挫折)、「ファッション元年」(対象をよく知らないと、くくりが大きくなるらしい)などを過ごしてきたとか。
それなら私にもできそうだ。もうすぐ元旦だしな。(2003.12)

●西村佳哲『自分の仕事をつくる』

自分の仕事をつくる

引用。「たとえば安売り家具屋の店頭に並ぶ、カラーボックスのような本棚。化粧板の仕上げは側面まで、裏面はベニア貼りの彼らは、「裏は見えないからいいでしょ?」というメッセージを、語るともなく語っている。建売住宅の扉は、開け閉めのたびに薄い音を立てながら、それをつくった人たちの「こんなもんでいいでしょ?」という腹のうちを伝える。」
ヨーガンレールというデザイナーの言葉。「私は、食べ物や食事をつくっていません。だから、その代わりに何かしないといけない。そうしないと食べられません。本当は、自分の食事や身のまわりのものを、全部自分の手でつくりたい。いつかこの仕事を辞める時が来たら、そういう生き方にしたいと思っています。みんなが自分の仕事を、本当に自分に必要な身の回りのものをつくり出すことに向けたら、環境への悪い影響もなくなるんじゃないかな。そんなことを思うことがあります。インダストリアルデザインとか、そういう話が出てくると気が遠くなります(笑)」
「後先を考えない人は「馬鹿」と称されやすい。しかし未来は、今この瞬間の累積以外の何ものでもない。最も退屈な馬鹿とは、いますぐに始めればいいことを、「明日から」「来年からは」と先送りにする人を指すのだと思う。」
私が2003年になって初めて気づいたことを、この人は95年から言っていたのですね・・・。(唯一の救いは、この著者は私より8歳年上であるということでした。)(2003.11)

●『7つの習慣 First Thing First(最優先事項)』

7つの習慣 最優先事項―「人生の選択」と時間の原則

すべてのビジネス書というのは役に立たないことでなければ当たり前のことが書いてあるものですが、この本も「そうだそうだ」とは思うものの、途中で寝てしまいました・・・。
たしかに著者たちが言うとおり、ほかのビジネス書っていうのは「より速く」「より多く」仕事をするやり方は書いてあるがその「方向性の選び方」は書いてないのでした。でも、この本に書いてある「選び方」はとっても抽象的で、結局「よく考えて直感に従って選ぶ」っていうしかないんだよなあと。
とはいえ、一生好きでもない仕事を「家族を養わなくっちゃ」とか「社会人なんだから稼がなくっちゃ」とか「偉くなりたい」とか「これしかできない」とか思いながらやり続ける人もいるわけで。
いま私は立ち止まってるから何でも考えられるけど、走ってる人はこういう本がモノを考えるきっかけになるのかなあ? ほんとにみんな小説を読まないんだなあ。(私なら小説から学ぶ)  (2003.10)

●矢口高雄『ボクの手塚治虫』

ボクの手塚治虫

矢口高雄は好きなんだ。どなたさまもぜひぜひぜひぜひ、釣りキチ三平を読んでください!
そのような傑作を描いた彼が、幼少の頃より手塚治虫にどんなに影響されたかを、マンガで綴った、愛情あふれる本。文化は一人の人から始まるのだなあということがわかる。松本零士は、手塚治虫の本のすばらしいコレクションを持っているらしい。(2003.10)

●ゲーテ 『ヘルマンとドロテーア

読んだことのないゲーテの本が重版されたのだ! と思って即買いしたが、読み終わってふと本棚を見たら・・・、あった。。。ドイツでは『若きウェルテル』と同じぐらい愛されているとか、解説に書いてあったんだけど、本当かなあ?
「そろそろ結婚したいなー」と思ってる若い男が、両親にいいつかって戦争の避難民に衣類とか届けてあげて、そのときに偶然出会った、きれいな、背の高い、人の世話をよく見る女の人に惚れ込んでしまう。男のお父さんは「そんなどこの馬の骨ともしれん女と結婚する気か!」って怒るんだけど、近所の人に女の様子を見に行ってもらって、近所の牧師さんとかも「あんなきれいな人なら間違いないでしょう。さすが息子さんの目は確かだ」とか言って納得してしまう。そんで、息子は女を嫁にするために迎えに行くんだけど、「嫁にしたい」って言えなくて、「両親に仕えてくれ」とかいって、使用人と偽って家まで連れてくる。家ではちょっと(そのウソのせいで)ごたごたするんだけど、結局その娘を嫁として迎えることになる。ちゃんちゃん。
ていうお話でした。・・・けっこう何もかも気にくわない話だったことよ。(2003.10)

●柴口育子・保田道世 『アニメーションの色職人』

アニメーションの色職人

ジブリのおじさんたちと一緒に35年、アニメの色指定をやってきた人、保田道世。仕事ってこういうもんでしょ。
読んでみると、なんと宇宙人基地と同じ市内に住んでるし、最初の退職年齢も1歳しか違わないし、仕事に自信があったけど辞めたとか言うし、そのあとちゃーんと大成してるしで、勇気づけられる本でしたよ。でも、『赤毛のアン』をやったときに、ずっと座っているので背中がアザになって、最後は畳に寝転がってやってたけど起きあがれなくなって、これはもうできないと思ったとか。やっぱり仕事だからそこまでやらないとちゃんとできないんだよねと思うと同時に、やっぱり私にはできないと思いました。
「追い込まれたとき、焦ったり落ち着かなかったりする。ざわついた空気の中でもやり通す。それが肝心。」だって。(2003.9)

●鈴木義幸『コーチングのプロが教える「ほめる」技術』

「ほめる」技術

技術でほめられても嬉しくないよ……と思うのは私が冷静なタイプだからで、のりやすいタイプの人は「背中がいいですね!」「よっ社長!」って言っても喜んじゃうんだって。バカか。と思いますがそういう部下ともつきあわないと今どきの組織ではやっていけないらしい。辞めて良かった。

●スタッズ・ターケル『仕事!』

仕事

すごくいい本なんですけど、晶文社で絶版……のような気がする。だれか文庫にしませんか?
いつかこういう、人の生涯に影響を与える本を作りたいな。

●吉田研介『建築家への道』

建築家への道

名だたる日本の建築家たちが、若かりしころどうやって過ごしてきたかという話。漫然と人と同じことをしていては大成できないということがよくわかります。

●トーマス・マン『魔の山』

魔の山〈上〉

これを読んだのはただ「魔の山」を征服したかった一心で。でもまねっこ(追随者)がとても多い本だと思うので、読んでおいてよかった。読んでる途中は、なにが言いたいんだ〜って思ったけど、終わってみると雰囲気が残るところはさすが。しかもその後ブッデンブローグとか長いのも読んだから、面白かったんですね。
次はやっぱりプルーストを読んでみたい。(うちに1巻だけあります。拾ってきたやつ……。1巻は面白くないっていうけど、1巻読まずに先に進むのは邪道だし……)

●オリヴァー・サックス『火星の人類学者』

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者

病気好き必読。ていうか常人も面白いでしょう。たぶん。この人たちが火星人ならやっぱ私も宇宙人だと思いましたよ。みんなが他星人を理解してくれるといいんだけどなー。

●白川静『初期万葉論』

初期万葉論

美しい本です。いや装丁も美しいけど、論の立て方が、芸術的です。私が学校で習ってきた万葉論というのは、万葉集の言葉を現代語にそのまま持ってきて、「〜であることよ」をつけただけ(月が傾いたのであったことだなあ、とかね)で、さっぱり意味が分からなかったんだけど、この本は違った。アメリカ(UC DAVIS)にいたときに図書館にあったほとんど唯一の日本語本だったので読んだのですが、その見識にいまでも敬服しています。若々しい清新な論だと思ったけど、このとき著者は68歳だったのよね。使ってる脳は年を取らないのですね。

●スタンダール『パルムの僧院』

パルムの僧院 (下巻)

パルムってナカタのいるパルマのことだって知ってました?
いや、パルマってどんなとこなのかなって思って読み始めたんだけど、なんか電車乗り過ごしちゃったりして。名作と言われるものはやっぱりパワーが違うんだなと納得。でもなかなか僧院ぽい話にならないんですけど……。僧院て修道院と一緒?

■(まだ)読んでない本

●スタッズ・ターケル『死!について』

死について!―あらゆる年齢・職業の人たち63人が堰を切ったように語った。

晶文社はもはや余力なく、このシリーズのすばらしい翻訳者であった中山容も先年なくなってしまったので、別の翻訳者で、原書房が出した。著者ももう88歳だそうだ。
このような大著に、手をつける版元に拍手。しかも2800円。非常にすばらしい。でも、タイトルが晶文社のような『死!』ではなく「について」が入ってたし、サブタイも長いのがごちゃごちゃ書いてあったのがちょっと。まあ、そのぐらい、いいか。(2003.10)

●マイケル・D・コウ 『古代マヤ文明』

古代マヤ文明

ついに出ましたよ。学生社の『マヤ』が出てから28年。英語版はその間に6版を重ねていたというのに、日本語版はまったく更新されておらず、識者の間では行く末が危惧されておりました(らしい)。その第6版を訳したのがこれです。
この本は作りもいいし、内容もしっかりしてる……んじゃないかな? マヤ展も楽しかったしね。(←無関係)

■今読んでいる本

●プルースト『失われた時を求めて』

失われた時を求めて (1)

何度か挫折しているが今を逃しては読めないので読み始めてみた。しかしかの有名なマドレーヌのシーンに入ったところでうちの犬が大騒ぎしだして集中がとぎれ……。再開できるかどうかが分かれ目になりそうな予感。(2003.10)
2003年12月、再読開始。しかし長丁場になりそうな予感。話は面白いが、本が分厚くて持ち歩きに適さないのが難。



トップに戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送