★山寺に行くために
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山形→仙山線15分(すべての快速が停車)→山寺 |
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あやしい山小屋みたいなホテル、「山寺ペンション」に泊まる。
電話はダイヤル式。 |
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でも、朝ごはんはおいしかった。トースト、コーヒー、できたてオムレツとハム、ヨーグルト、サラダ、りんご、イチジクのコンポート、手作りジャム。 |
★山寺の概要
年若くしてなくなった人をメインに祀っているような印象でした。道ばたにある「後生車」といい、お地蔵集団といい。とくに奥の院は、ちょっとこわい・・・。
平泉でもらったチラシには、こうあります。「立石寺は、慈覚大師の遺体を運んで埋葬したという入定窟もあり、信仰の一大拠点となってきました。……立石寺は、最上・出羽のくにを守る寺として、紅花の往来なども見守ってきたのです。」 860年開山。 |
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岩の上に、お堂が見える。あそこまで登るのか……。 |
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山寺全体図。画面だと字が読めないので、詳細は地図で見てくださいね……。
こんなに山じゅうに広がっているということで。 |
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★山寺のパーツ
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山寺の参道入口。いきなり階段。最後まで階段。杖は売店で売っている。 |
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立石寺本堂。
こころなしか、精悍な顔つきのお坊さんが多かったです。やっぱり修行が厳しいんだろうな。 |
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立石寺本堂。「1200年不滅の法灯」とのこと。
手前の像は、なでてお願い事をするとか。 |
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お地蔵さんいっぱい。人が見てないと動き出しそう。
「一霊500円」て……。 |
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山寺日枝神社。
ここのお寺は、どれもがっしりした感じがします。 |
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昭和47年9月17日の台風で上部がなくなってしまった、イチョウの神木。
この台風のために私の名前が決まったという、由緒ある台風です。 |
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ころり往生阿弥陀如来。長あい数珠がついています。介護に苦労している人などが、自分はそうならないようにと、参るらしい。
「写経してみませんか」て言われると、ついやりたくなりませんか。 |
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山寺立石寺入口。いよいよここから有料エリアです(200円)。 |
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修行者の参道。階段の横に仏像が点在している。岩に彫りつけてある仏像も多数あり。
けっこうキレイなのですが、周りを見る余裕などない人多数。 |
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後生車。この板の上部についている車輪を回すと、供養されているその人が早く人間に生まれ変われるという。 |
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せみ塚。芭蕉が「閑かさや」を詠んだところという。 |
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岩のへこんだところに仏が、見える人には見える、という。見えない人は、救われないらしい。そういわれてみれば、片手を上げている仏様が見える……ような。 |
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仁王門。
とにかく急な階段である。
(でも階段があるだけましである) |
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奇岩。これが上の説明にある「お骨の入っている岩穴」。なぜここだけこんな形なのか(人が作ったのか天然か)は不明。この岩のところは、修行者のみ入れるエリア。
昔、営利を求めて修行をした人々が多く落ちて死んだりしたらしい。 |
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開山堂。 |
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赤い建物(納経堂)が、この辺で一番古い建物。
この下の岩の中に、慈覚大師が眠っているらしい。 |
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下界。小さな村である。
昔は、降りるときそりみたいなものを貸してくれて、滑り降りられたらしい(……)が、現在は消滅。 |
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岩中の祠。中身は壊れているような。 |
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ここから先、修行エリアのため立入禁止。 |
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奥の院前景。 |
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奥の院左手の南無阿弥陀仏。 |
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奥の院大仏殿。この中は当然撮影禁止である。
若くして結婚せずになくなった人が20歳になると(ていうか、生きてたら20歳になったであろう年に)、架空の結婚式の写真や絵を親が奉納することになっている(山形では当然の風習のようである)。この中の壁に、その絵が掛けてあるのである。その相手は、昔は実在の人物だったのかもしれない(子どもがよく死んだ時代は、相手が見つけやすかったので)が、現在は架空の相手のようであった。中には25歳でなくなった男の人の結婚式もあった。
生きてて結婚してなくて30歳越えた私って……と思い、早々に引き揚げました。 |
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奥の院の飾り。(名前わかりません)
獅子と龍がかわいかったので。 |
★無関係なもの。
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お寺のポチ。 |
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紅葉きれいだった。 |